考える・言葉

断ることで見えてくるもの

このところお誘いいただく機会が増えてきました。得体の知れないやつだと思われているはずなのに、そんなボクをお誘いいただけるなんて、とてもありがたいことです。

 

だけどお誘いが続き出すと・・・?

そうなんです。どうやっても時間が足りなくなってきます。

すべてにYESで応えることはできないんですよね。

アポは入っていなくても、やらなきゃいけないデスクワークがあるので、外に出てばかりだと、何も進まず、ただの遊び人になっちゃいます。

 

ではどうしたらいいのか?

 

これまでは都合がつくか、つかないか、で考えていたことが多かったんです。

それを変えてみたんです。

「そこまでして行くべきか、どうか」に。

 

「そこまでして」とは、

「お客様からご依頼いただいている案件をもう半日早く納品できるかもしれないのに、そこまでして」や

「打ち合わせを先送りにしていただいているのを、もう1日早くできるかもしれないのに、そこまでして」ですね。

あと、毎日大きく成長している子どもや家族での団らんの時間とも。

 

「そこまでして」って何だろう?お金?仕事??

なんだろうかってずっと考えてたんですが、もっと芯のところにありました。

想いなんですね。

芯のところで「あう・あわない」を考えると、判断が楽になったように感じます。

 

そんなよくわからない主張をはじめたわけです。

こんなバカ正直じゃなくて、もっといい断り方はありそうな気がするし、反省しどころはある。

だけど選択肢を減らしていくと、だんだん戻れなくなってきて、進むべきところが限られていく。心だけでなく、行動も主体的になってきています。

  • この記事を書いた人

ぴろきち

ぴろきちです。大阪生まれで大阪育ち。関西人らしくないと薄々感じてましたが、どうやら血は大阪人じゃないようです。環境で大阪人になってもよさそうなのにね。 世界遺産めぐりが好きで特に遺跡に興味があります。他には神社や寺めぐりをして、御朱印集めをはじめてまもない状態。自分のルーツ・人のルーツをたどることが好きで、家系図づくりをしていますが、4世代より前へなかなか進めずにいます。肌が弱いので、タバコの煙が苦手。お酒もほぼ飲みません。 食べ過ぎたりもしたけれど、ぴろきちは元気です。

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