「なぜ君は絶望と闘えたのか」を手にとったのをきっかけに死刑のことが頭から離れなくなりました。
夜も 夢でうなされてしまいましたし、暗く深いところに行った気がします。ボクにとって単なる「読書」ではなかったんです。
(本来は、国民である限り常に当事者なのですが、さらに長くなるので省きます。)
第三者であるボクとしては、相当な時間を割いたつもりなので、今回の日記を最後にして“当事者”になるまで封印しようと思っています。
そんなつもりのエントリーです。
・・・長いだけでまとまってない気もしますが。
死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う 森達也 朝日出版社 2008-01-10 |
なぜ君は絶望と闘えたのか 門田 隆将 新潮社 2008-07-16 |
殺人事件の当事者になったことがなかったあなたはラッキーでした。
殺人事件に関わる必要がなかったあなたはラッキーでした。
事件には「加害者」と「被害者」だけでなく、他にも、弁護士・検察官・裁判官・刑務官・教誨師が関わっています。
そして、その家族・その親族がいます。
だけど、陪審員制度が始まるため、当事者になる可能性が高くなります。
これまで死刑について考えてこなかった人には、非常にためになる本だと思いますので、ぜひご一読をおすすめします。
この本を読むまで、ボクは「人を殺したら、ハイ、死刑ね」と思っていました。
そのままの知識で陪審員になっていたら、発想もその程度だったでしょうし、恐ろしいことですね。
この2冊が、対極する視点を与えてくれたことで、なぜそう思うのか、を考えるようになりました。
深い話はそれぞれ手にとって読んでほしいのですが、「死刑制度があること」について、抜粋して簡単にまとめてみました。ボクの記録なので、主観と一部インターネットからの情報も混じっていると思います。
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世界と日本の現状
■世界の死刑制度と、死刑執行の現状。日本はオウム事件以降で執行が増えている。
■死刑と終身刑と無期懲役。
無期懲役刑の実体は、平均25年で仮出所。
外国の終身刑も、仮出所がある。日本の無期懲役≒外国の終身刑。アメリカや中国など、仮釈放がない終身刑もある。
■死刑制度の存置は、日本国民の8割。
アメリカでは死刑制度を廃止したら凶悪犯罪が減ったデータあり。EUは死刑廃止が加入条件。
ただし銃社会なので正当防衛で殺人をしている可能性もあり、データを同じように扱って単純比較はできない。
■国家とは国民の合意形成を反映しているもの。
(所感)
世界的に見れば、死刑制度は廃止される方が良いかもしれない。
ただ、死刑制度を廃止したからといって、犯罪率が下がるとか、凶悪犯罪が減るとは考えられない。
国民の合意形成で決められるべきものなので、外国の状況と比較するものではなく、論理や感情に縛られずに、絶対値として意志が反映されていればよいもの。
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死刑制度が続くことでの良い点(?)・悪い点(?)
■仮出所がある無期懲役は、死刑と比べて相当に軽い。
命で償うという刑があってもよいはず。
■その存在(加害者)がいなくなることで、第三者が持つ不安と恐怖を取り除くことができる。
(無期懲役であれば、25年後の仮出所後にどこかで接点をもつ可能性があるという不安と恐怖)
■被害者感情(遺族感情)を抑えることができる。
被害者の命を取り返すことはできないが、執行すれば、加害者と同じ空気を吸っていないだけ少なくともマシという感覚。
■冤罪の可能性をゼロにすることは、永遠にできない。
死刑かどうかは不明だが、公になっていない冤罪事件は相当数あるようだ。
■かけがえのない命を、国民によって築かれている国が殺める点。
■死刑執行するのは、最終的には人(刑務官)であること。
最後のボタンを押したという感覚は、一生残る。
(所感)
死刑制度がなければ、本当に反省し、本当に悔いることができない加害者がいる。
心の底から悔いなくても、いずれ社会復帰できるのとは大きく違う。
死刑が確定して、心の底から悔いたとしても執行するべきなのか。。。
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制度の問題
■加害者は刑務所をでてから社会で暮らしづらいので、また刑務所に戻る。
■絞首刑でいいのか。
■死刑が確定したら、外部との連絡は遮断される。
■執行は、非公開。だれが立ち会ったかを刑務官同士も知らない。刑務官は家族にも基本的に報告しない。
■加害者は生きて賠償し続けるべき。国が基金をつくって保証するのでもいい。
■死刑囚の執行と自殺。自殺は罪償いにはならないか。死刑は、執行しなければならないものか。
■施設収容には、1人あたり年間およそ300万円かかる。
執行まで平均10年かかれば、3000万円かかる。20年であれば、6000万円かかる。
税金からこの費用を捻出して、罪を償う機会をあたえている。
(所感)
命を費用対効果で考えるべきではないが、死刑囚には費用がかかりすぎている。
執行を早め、被害者遺族への補償にあてる方が望ましい気もする(促進しているわけではない。)。
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悩みどころ
■公開死刑執行があれば参加するか。非公開で執行されるから死刑賛成なのか。
刑務官の代わりに最後のボタンを押すことができるか。
■少年犯罪は大きく減少していると言われているが、本当か。
数ではなく率はどうか。人口は減っているのだから。
■冤罪の刑事補償額は、最大で3000万円。
上げようという話があるが、それでも4000万円。
■死刑にされるために殺人をするものがいる。
死刑は万人に対して刑罰になっているわけではない。
被害者遺族も、必ずしも死刑を望んでいるわけではない。
■執行は、楽なのがいいのか。
苦痛を与えるべきか。苦痛を与えないようにすべきか。罰なのに?
■報復感情はどうすれば抑えられるのか。
私が殺すといって実際に被害者遺族が仇討ちをしたことはない。
感情は芽生えるが、正常な人間心理では実行できるものではない。
■死刑確定から、死刑執行までに、死刑確定囚が思うこと。最後の罪償いか。
(所感)
死刑執行は非公開すぎて正しい情報を知ることができない。マスコミに踊らされているのではダメだろう。
かといって知れば知るほど死刑制度が怖くなるのでは・・・?だが、これはあたりまえの感覚。
すでに起きたことに対する刑罰のみについて考えればそうかもしれないが、その前に事件があって、知ることができない現場があったことを忘れてしまいがち。
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著者の森達也氏の論理や結論、それに至った理由には、ほとんど共感できなかった。
だけど、森氏の結論に至るまでの過程は、評価できた。
考えるきっかけや視点を与えてくれたという意味で。
この題は、論理だけでもダメで、感情だけでもダメで、そもそも「当事者であってはダメ」だと思っています。
きっと正常な判断ができないから。
そして、10人いれば10種類の回答があるでしょう。
裁判は
「被害者らが受けた害を、加害者に対して、刑罰として負わせるもの」
ではなくて、
裁判は「社会性」が重視されるものであって、
あくまでも中立的な立場から、司法が裁くというもの、
だとボクは考えています。
日本では仇討ちが禁じられているので、現在の裁判でも もちろん禁じられているということになります。
つまり「裁判は被害者らのために行うものではない」んですね。
加害者だけが人権保護されるのは、
一方は死んだ状態(=人権が“すでに”存在しない状態)で、
もう一方には人権が存在する状態(=人権が存在する状態)、
この状態を中立として開始するからだ、と考えています。
ものすごく不公平な気がしてなりませんが、裁判で、その事実を明確にして裁くので、その前からバイアスがかかっていては、正しい判決が出ないということでしょうか。
考えれば考えるほどフシギなのですが、裁判長にはものすごい権限とプレッシャーがかかります。
前例に従って“無難な”判決を下すのも、一定レベルでは同情できる部分かもしれません。
もし陪審員制度で番がまわってきたときに、ボクたちは、感情的にではなく、論理的にでもなく、自身の倫理観(モラル)から判断をする必要があると思います。
これから先、新たな視点に触れることで意見が変わるかもしれないけど、現時点での自分の意見をまとめておこうと思います。
ポイントは、この辺りでしょうか。
■殺人の罪は、「少なくとも」命をもって償うべきか。
■無期懲役は、いずれ社会に出てくる。
■被害者感情はどう勘案するのが一番よいか。
■冤罪はなくならない。
こういったことを踏まえて、今のボクの答えは、死刑制度は○○です。
理由は「無期懲役には仮出所があるから」です。
殺したいんじゃないんです。同じ社会で暮らさないでほしいんです。
そういう刑ができればいいですが・・・
かといって、収容費用の何千万なんて負担できませんが・・・。
多くの時間を割いて考えてきましたが、これらの内容は、ボクが実際に足を運んだわけじゃありませんし、本やインターネットを通じて知っただけです。
またぎきですから、実際はどうかなんて、わからないんです。
これ以上、知れば知るほど、知ろうとすればするほど、情報の多い側に流されていくんだろうとも思います。
森氏の結論はこれに尽きる、とボクは考えています。
だから、今はこのわからない状態でいいと思うんです。
第三者でいられることは幸せなんです。