ひとつ前の投稿では、「大阪都構想 住民投票」について、全体情報のまとめと大阪のこれからをまとめました。もう少し個人的な、ボクと橋下徹さんのあたりを書いておきます。
橋下徹氏は、政界を引退して弁護士をやる、と発表しています。そのときの表情が何とも言えないですね。翌日の登庁でも、睡眠不足で疲労困憊のはずですが、表情は前夜の会見と同じ様子でした。本当にそうするんだと思っています。しばらく静かにして、また復活するなんて、今の時点では考えていないはず。
だからあの表情が妙に気になって、しばらく考えを整理していました。ここに投稿することで、ボク自身の整理に決着を付けます。賛成に入れた人も、反対に入れた人も、考えを少しでも整理するヒントになればうれしいです。
住民投票の勝利者はだれか
翌日は、SNSでは「辞めないで」「責任をとるといって逃げるな」「橋下ざまあ!」などなどの意見を目にしました。ニュースによると、電話が党にかかったようですね。ボクは、賛成の人も反対の人も、ボクを含めてこの人たちすべてが橋下徹さんに負けたと感じています。
彼は元々弁護士で法律のプロ。民主主義にのっとって、システムを最大限に使って目標達成を目指しました。結果、住民投票で負けたので、引退する道を選びました。
こう考える人がいます。
「たった12,000票差だったんだから、辞めないで、もう1度勝負を。」
でも、自分が代わりにやる!と言ってる人をまだ見ていません。
こう考える人がいます。
「これだけ人を巻き込んでおいて引退するのは責任を果たしていない!
責任をとるのは、引退ではなく最後まで見届けること。
引退するなら維新全員が辞任までしろ!」
でも、反対した陣営が、次に何に取り組むのか、を言ってるのをまだ見ていません。
ボクだって思う。
「12,000票なら、もう少し早くから明確に支援していれば、いくらかは賛成が増えたのでは・・・」
「電話のひとつでも入れればよかった」
でも、ボクはいつも支援しているわけじゃないので・・・。ただ、僅差、本当の僅差だったのが悔やまれる。僅差で賛成だったら、ボクは本当に勝利だったんだろうか。
住民投票の結果、苦しい立場におかれたのはだれだろう?
1.残った大阪維新の議員さんたち。リーダーが引退していく中で、議会第1党をだれが率いていくのか。
2.維新や橋下徹さんを支援して、辞めないでと願う市民(・府民)たち。自分たちが入れた票への想いは、どこに流れていくのか。
3.反対勢力の政党議員さんたち。やり返す相手が引退してしまう中、さらに維新以外がすべて組んでやっと50%だったこと(=賛成が大阪に49%もいること)を踏まえて次の案を出していく立場になった。とてもとても厳しい。真価が問われる。すごいプレッシャーがかかる。でももう投票戦で疲れ切ってそう。
他にもあるかな?
こんな状況の中、橋下徹さんは、市長の任期満了に向けて、維新の代表で市長として、これまで広げたふろしきを畳んでいる。あの表情で登庁して。
上にあげたような、3つの立場におかれた市民はモヤモヤを持ち、反対が通ったこと、僅差だったこと(市民の意見が2つに分かれている現実)、これからの大阪に不安を持ちながらも、投票後を過ごしているんじゃないかな。
橋下徹さんは法律のプロ。民主主義のシステムを最大限活かして、勝負したんだなって思わずにいられません。なので、会見では、こんな発言がありました。
「私は公務員、全体の奉仕者ですから、国民の奴隷ではありません。僕は今度、自分の人生を歩んでいきたい。弁護士としてプロフェッショナルなプライドもある。依頼をして頼まれた仕事をしっかりやっていく。万人に好かれることもなく、仕事をやって結果を出す人生を歩んでいきたい。」
他にも引用したい発言はありますが、気になる方はリンク先を参考にしてください。
これまでの大阪維新代表で知事の立場から、発言内容をずいぶん絞っている印象を受けました。「これから先のことには、引退する私は責任もてませんから話せません」と。 0か100かに分類することではないので、橋下徹さんも悔いてるはずです。でも市民の動揺と同じくらいなのかどうかは疑問がつきます。
そんな彼でも・・・。38歳から45歳まで、見た目の変化がすごいです。
橋下徹氏/38歳/2008年/大阪府知事初当選時
橋下徹氏/45歳/2015年/大阪市の住民投票後
細かく書きませんが、政治家って心労負担がすごいんだなって写真で思います。
同じような印象の人をもう1人思いつきます。
小泉純一郎氏/2001年/総理就任
小泉純一郎氏/2006年/政界引退頃
こうならない、ずっと政治家ってどうなんだろう。
こうなろうがなるまいが、ずっと政治家ってどうなんだろう。
ならないからダメってわけじゃないだろうけどね。
ヨコに大きくなってるだけの方は注意したほうがいいでしょうね。
*写真にウソがあったらすみません。ウラはとってください。
そして、もしも、賛成と反対との票が反対だったなら・・・、今苦しい立場におかれている人は、真逆になっていたと思います。49%の反対を見ながら改革を進めていく気持ち。民主主義に基づいた賛成であっても、自信が揺らぐのではないでしょうか。
結果はそうならなかったので、苦労してるのは市民ですね。
政治や選挙へのきっかけになった?関心をもった?
そんなものは、1週間以内に4人に3人が忘れます。1ヶ月後には消えてなくなります。8年分が1ヶ月でなくなる。1年でもうだれも思いださないでしょう。積み重ねるのは10年かかっても、崩れるのは1週間。代わりに、この期間に行動する人だけに残るんでしょう。ボクもきっと忘れます。だから記録で投稿をしちゃってるわけです。
そんなわけで、住民投票の結果、大阪に勝利者はだれもいませんでした。
他の都市で勝利者が出ることを期待します。
ボクは橋下徹に負けた
もうひとつ書いておきたいです。
投票直後、反対が確定した後の会見であんな表情をされた。翌日の登庁でも同じ表情。たとえ取り繕っているんだとしても、やりきった感を感じました。もうこれ以上ないくらいの。
投票結果が49:51でなく、20:80だったらあの表情ではなかったでしょうし、当人も会見で言ってましたね。私たち市民は、彼に最高の引退セレモニーを捧げたことになった。最後の勝負が僅差だったなんてね、すごい因果。あの投票率で、あんな接戦投票が次に起きるのはいつなのか!?想像がつきません。
とにかく橋下徹さんはやりきった。やりきった人はあんな表情をする。胸の奥に想いはあるだろうけど、直後のあの会見の場であれができる。
ボクが知る言葉では表現できない、8年の積み重ねを感じました。
一方でボクは、こんな投稿をするような状態だったりする。それは関わりが中途半端だからに他ならないですね。当日は、「よし、明日からどこかの政党に所属しよう!」なんて発想をほんの少しだけ持ったりしましたが、まあやりませんが、すべては中途半端だからこそ。
そんなボクにも、ちょうど全力で取り組む環境が整いつつあります。すると、そこにすっぽりハマるやることが生まれました。これまで全力で何かをやろうとしたことがなかったのですが、橋下徹さんの影響を受けて、とことんやってみます。同じように、期限を決めて、目標を決めて、もう少し柔軟にはいきたいし、その期間も自分を犠牲にはしないけれど。
今回は姿勢の差を見せつけられました。だからボクは、やりきることを試します。
でも今回は橋下徹さんに負けました。