「まず、お金が欲しいねん!」ってことをボクは認めるべき。
何もその通りに行動に移す必要はないし。
「いやいや、お金だけじゃないってば。
お金だけじゃないけど、お金も大事だよね?っていうくらいだって」
と思ってたんですが、よーく考えてみるとどうもそうじゃない気がする。
「まず、お金が欲しいねん!」って思ってる自分を認めるべきじゃないかって。
成長するには、やっぱり本質的な自分自身と向き合わないとね。
だけどこれって、お金の不安に縛られてるからなんでしょうね。
ボクからみたらお金はドSキャラですね。
言い方を変えると、ボクはきっとお金を悪だとみているんでしょう。
お金はものすごく中立な立場のはずなのに。
要領よくお金と接することができる人とか、
一攫千金でこのドSから脱出できた人をみると、
シンプルに「うらやましい」と口に出して言えるようになれたらいいなって思ってます。
「口に出す」って、言霊ですよね。
いらんことは言霊にしないようにして、良いことを言霊にしていくってわけです。
「じゃそれって、お金がたくさんあったら、あんたはそれで幸せなのか?」
と聞かれるとすれば、それの答えはNOだということを「頭だけで」理解はしています。これがまた曲者で。
この答えは、簡単なんです。
「お金がたくさんあったとしたら、
そのときにするであろうことを、今の時点からやればいい」わけですね。
「お金があったら○○できるのに」なんて、ただのいいわけで。
すごくシンプルです。
すごく合理的です。
なのに、ものすごく難しい。それはなぜ?
それって、書類が少しずつ机の隅っこに積み上がっていくのに似ている?
それって、夏休みの宿題を、8月31日までやらないのに似ている?
それって、
それって、、、
「お金がたくさんあったとしたら・・・」の気持ちは、
そのときにならんとわからんやん!ってことだとボクは実感してるけど、
想像するくらいはだれにだってできるはず。
お金で買えないもの、お金で買えない何か、お金で得られない何か。
うーん、何だろ。
お金では得られない人間関係?
お金で得られない思い出?
お金で得られない愛?
お金で得られない今、この瞬間?
答えが何なのかはわからないけど、自分だけの「それ」を知れたらなって。
これからの時代は、きっとそれを知ることが「幸せ」につながる気がするんです。
さてさて、どうなることやら。