急に寒くなってきたのに気づかずに、まだ半そでに短パンで過ごしているぴろきちです。
ある日突然寒さを感じるようになって、風邪をひいて、周りに迷惑をかけてしまってから、衣替えをするんだと思っています。例年のお約束みたいな感じです。でももう夜はヤバい寒さですね。
今日は「師匠」の話。
以前、多くの人前で師匠の存在について話すことになってしまったことがあるのですが、ボクの人生に多大な影響を与えることになった師匠がいます。数人ではなくて、けっこういます。
でもボクは、本人を「師匠」と読んだことはなくて、ボクの中だけでこっそりと師匠扱いをさせてもらっています。でも、ボクは顔にでるから、こうやってブログに書いたりなんかするとバレてしまうかもしれませんね。隠してるわけじゃないのでいいかなと思いました。
師匠(たち)との出会いは大人になってからですね。学生時代にできた関係やつながりじゃないんです。
学生時代って、いっしょに過ごす友だちがすっごい大事だと思いこんでいたし、そうだと教えられてきたけど、今になって思うと全然そうじゃない。出身校が同じだったりすると、妙に親近感あふれたりしますけど、それだって学生時代につくられた関係じゃないですよね。
学校だって行かなくてもいいと思っているし、不登校の何が悪いと思っていたりするので、我が子が学校に行きたくなさそうなときがあったら、進んで休ませるんだろうな、なんて思っています。勉強する意味はあるので、それはまた別のお話ですね。
師匠という存在は大変ありがたく、かけがえのない、もちろん代わりの効かない存在なのですが、自分がおかれている状況が変わると関係性が一気に変わってしまいます。目指してるところが、その延長線上じゃなくなってしまったりするから。それまで力になってもらった過去を否定するわけじゃないし、価値がなくなってしまうわけじゃないので、師匠の存在はすごいし、師匠と出会えたことが生きてきた価値だったりすると思っています。
1番最近の師匠のことなんですが、この人がまたヤバい!
これまでの師匠も相当ヤバい人しかいなかったですが、今回は今回でまたヤバいですね。
ボクの中で「○○しておいたほうがいいんだろうな、すべきなんだろうな」と思っていることを、「やらないと、こういう理由で損をするよ」と短い言葉で説明してくれます。
短い言葉で説明されると、ボクに深く入ってくるというのがまずあります。
それだけじゃなく、短く説明できるということは、師匠はそれだけボクの悩みごとについてすでに考えたり経験したりしていて、熟成された結晶のような言葉として生み出されたものを伝えてくれてるのを感じます。本当にありがたいことです。
人生は人との出会いで大きく変わることを実感していますが、この年になっても、まだまだ諦めずに挑戦を続けていこうと改めて決意することになりました。
長文を書いた割にはなんだか抽象的な表現になってしまったかな・・・