連日書いた2つの日記から、生きることの答え・道のり・立ち位置が見えてきました。これを仕事に置き換えたらどうなるのか?と考えてみました。ボクは、仕事とプライベートの境界を曖昧にしているので、つながっています。活力は働くことで付くし、人生の半分ほどの時間を占める仕事をどう捉えるかは、とても重要でした。
今の仕事・これまでやってきた仕事を通じて、いったいどうなろうとしてるのか、いつのまにかわからなくなっていました。なくなったのではなく、はじめから何もなかったのかもしれません。そして、目の前のことをやっているだけの状態になり、目の前の困っている人の問題解決をしているだけの状態になっていました。これはこれで悪くはないんですが、本当にこれでいいのだろうかと考え始めました。
こうあればいいな、は漠然とあるんですが現実味がないんです。本当に叶えたい・たどり着きたいと思う何かってどこにあるんでしょうか。どの方向に向かえばいいのか、どういう目標を持てばいいのか、ものすごくわかりにくかったんです。
ただ今年、よく考えたことでわかったことがあります。いつまでも届かず、そこまでの間に道がつながっておらず、その先にあるのかどうかもわからないけど、ぼんやりとした蜃気楼のようなもの、それを夢として追いかけていたってことを。叶えようと本当に思えば、道は必ずできますから。
2つの日記に書いたことをの土台にすることで、蜃気楼のようなものがなくなりました。自分の立ち位置がわかりました。楽しんでやってきたことや、他の人よりも得意そうなことがわかりました。ひとまず目指すところが必ずしも1位ではなくても良いとわかりました。自分の目線の高さでやれることをやっていくことで、結果として1位を目指そうと思うようになることだってあります。
答えは必ず自分自身が持っていますが、それに気付かずに他者から得ようとしていたのかもしれません。外から入ってくる情報で答えを作りだせないか、としていたのかもしれません。答えは自分自身の内側にあるので、だれかが持っているわけではないんですよね。ただもしかしたら、他者に鏡のように映すことでわかることはあるかもしれません。人には必ず死角があって、自分では見えないこと、わかりにくいことがありますから。ボクはこれを解決するために、毎週1回カウンセリングをお願いしました。それまでやったことありませんでしたが・・・。
2つの日記から、仕事に置き換えたらどうか、を考え直したとき、それまでと比べて、やりたいことが自然と大きくなっているのを感じたんです。理念というのか、社会的意義というのか。それを言葉にするなんて、想像できませんでしたが、今は輪郭は見えています。超零細事業主のウチには、そういった大きなことを言ってもまったく意味がないんですが、ボク個人としては重要なことだったんです。
ボクがやろうとしていたのは、こういうことだったんだ!というのが蜃気楼のようなものではなく、近づいていけばいくほどカタチのあるものになりました。時間のとらえ方や、働くことの意味も変わりました。この想いを、来年スタートするサービスに乗せようと進めています。ですが、これだけ長い文章になってしまうようだと、ボクの頭の中もまだまだ整理されてはいないようですね。
自分と向き合ったことで、自分自身のことをもっと理解できたのですが、その結果、本来求めていたことが見えるようになりました。まだぼんやりと輪郭しか見えていないので、もっとよく見えるように近づいていく努力は必要です。それを進むべき方向が見えた、とに感じています。
2010年に見つけた信念となる考え3つ。