ひとつ前の日記のつづきです。笑いの話とはつながらなかったので、わけました。
法要で坊さんがお経をよんでたときなんですが、先日のお葬式のときと比べて、ボク自身の気持ちがおっちゃんに対して遠くなっていることを感じてたんです。日が経ってしまうと、他人ごとになってしまって薄情だなぁと。
当日は、おっちゃんの写真があっただけで、棺はもちろんないし、花がたくさん飾ってあるわけじゃないし、実感するものが見えるところにはあまりないんですよね。四十九日法要なので、亡くなられてから49日。昨日食べたものも詳細に思い出せないボクにとって、忘れてしまうには十分な期間です。とてもお世話になったおっちゃんのことでさえ、この状態なんです。
これって、何かに似ているな、と考えました。
阪神大震災であり、今回の東北地方地震・津波の災害ですね。
あれから10日ほど経ちましたが、一段落してもう終わってしまったかのような空気を感じるところもあります。これを悪いことというつもりではなくて、むしろ忘れていくことで、より強く生きていけるのではないかと感じたんです。ボクのようにぐだぐだと考えてしまっても、事態は何も変わりませんからね。
この日にボクが感じたことを、忘れないようにtwitterでつぶやいたのですが、ここにも残しておくことにします。うまくまとまらなかったけど、投稿っと。
人は、事実ではなく感情に左右されるもの。人は、忘れるもの。人は、感情をコントロールして、忘れることで、強く生きていけるもの。
■追記
お経のとき、ボクが気持ちが遠くなっていると感じていた頃、兄ちゃん(おっちゃんの長男)は、足のしびれのことしか考えれなくて、お経がいつ終わるかばかり考えていたそうです。
これも笑えるし、それをお昼ごはん食べるときに、悪びれもせずに言うところが楽しいですね。