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真実とは何か/「光市母子殺害事件」日記の続き

昨日の日記の続きです。
気になっていることです。
被告は差し戻し審で、「ドラえもん」や「魔界転生」の話をしました。
司法判決も、被害者遺族も、世論も、嘲笑ものでしたし、
ボクも今さら何を言うとるねんという感じで思っていますが、
だけど、もしこれが事実だったとしたら・・・?

事実ではないと、
何をもって判断してるんでしょうか?

何をもって判断できるんでしょうか?

2009年7月からはじまる裁判(裁判員制度)は、
非常に難しい問題を抱えていると思います。
といっても、制度自体はよく知りません・・・。

 

この一方で、
裁判とは いったい何のために、だれのために行うのでしょうか。

また、どういった基準で行うのでしょうか。

よくわかっていないボクの主観ですが、
裁判とは、
「被害者らが受けた害を、加害者に対して、刑罰として負わせるもの」
と思っていましたが、
これは、大きな勘違いだったようです。

日本では仇討ちが禁じられているので、
現在の裁判でも もちろん禁じられているということになります。
つまり「裁判は被害者らのために行うものではない」んですね。

だから、
被害者遺族の傍聴席が用意されていなかったり、
遺族がないがしろにされた裁判が行われ、
被告の人権が守られてばかり、
だったんだろうと思います。

殺し殺される、その“前”の状態から裁判があるわけではなく、
一方は死んだ状態(=人権が“すでに”存在しない状態)で、
もう一方には人権が存在する状態、
この状態を中立として開始するんだなぁ、と感じています。
この場合は、加害者だけが人権保護されるわけですね。

ものすごく不公平な気がしてなりませんが、
裁判で、その事実を明確にして裁くので、
その前からバイアスがかかっていては、
正しい判決が出ないということでしょう(か?)。

そうでなくて、
被害者遺族の代わりに司法が加害者を裁くとすれば、
被害者遺族の受けた害を元に司法が加害者を裁くとすれば、
一家すべてが殺害され、親族が実質的にいない場合、
人権のある被害者はいないので、加害者は無罪放免になるのでしょうか。
そんなことはきっと許されませんよね。
と考えると、
裁判というのは「社会性」が重視されるものであって、
あくまでも中立的な立場から、司法が裁くというものになるのでしょう。

考えれば考えるほどフシギなのですが、
裁判長にはものすごい権限とプレッシャーがかかります。
前例に従って“無難な”判決を下すのも、
一定レベルでは同情できる部分かもしれません。
もし陪審員制度で番がまわってきたときに、
ボクたちは、感情的にではなく、理論的にでもなく、
「社会性」から判断をする必要があると思います。

だけど、この判断をする基準って・・・?

殺害シーンのビデオがあれば、それはもう決定的なんでしょうか?
CG合成が個人レベルで行えるこの時代に・・・?
デジタルデータが信用されないのであれば、
デジタルデータばかりの我が家はいったいどうなるんだ・・・(なにが?)

考えれば考えるほど、わかりません。

 

ボクが書いた内容を含め、だれか教えてください。
個別のメッセージでもOKですので。
・・・ああ、また何かたくさん書いてしまった。

  • この記事を書いた人

ぴろきち

ぴろきちです。大阪生まれで大阪育ち。関西人らしくないと薄々感じてましたが、どうやら血は大阪人じゃないようです。環境で大阪人になってもよさそうなのにね。 世界遺産めぐりが好きで特に遺跡に興味があります。他には神社や寺めぐりをして、御朱印集めをはじめてまもない状態。自分のルーツ・人のルーツをたどることが好きで、家系図づくりをしていますが、4世代より前へなかなか進めずにいます。肌が弱いので、タバコの煙が苦手。お酒もほぼ飲みません。 食べ過ぎたりもしたけれど、ぴろきちは元気です。

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