タマシイはヒトの器に入りきらないんです。
ですが、社会とやらを学んでいくうちに、
一般常識やら先入観やらで覆われてしまい、
タマシイ本来の能力を出せなくなってしまいます。
そういうクセがついてしまうんだと思います。
心当たりはありませんか?
私はあります。
考え方そのものがクセになってしまっていて、
そのサイクルで生活してつづけてしまうと、
ヒトというモノの器を中心にして、
見たり、感じたり、受け止めたりしてしまいます。
なので、すべて壊して、逆で考えていきたいと思います。
でも、友達や家族から
「さっきそこに幽霊おってん」
と言われたら、どう思いますか?
目でみたのか(*1)、ココロで感じて見たのか(*2)、
ソノヒトの器がヒトの器を超えたのか(*1)、
タマシイが器を超えてつながったのか(*2)、
どっちなんやろぅ?
*1:そこに存在しないものが見える、という意味で、
ヒトの器を超越している。
ただし、目に見えないものが見えるのは、
その人の妄想かもしれない。(幻覚とか)
それはそれでヒトの器を超越している。
*2:存在を感じて見えるとすれば、
器を介さずにタマシイ同士がつながっているためで、
ヒトの器を超越している。
目に見えないはずのものが、確かにそこに見えるというのは、
タマシイのレベルでは常識なのだ。
両方が超越していたら、どうなるんだろう・・・
私のアウトプットする能力では、
考えている通りには表現できませんでした。。