3.11の震災が起きたのは、2011年。
それから2年あまりが経って、やっと行くことができました。とはいっても、震源地の仙台ではなく、三陸海岸沿いをずーっと北上した宮古市(岩手県)です。宮古市には、おばあちゃん(妻の父の母)の家がありました。
景色がきれいなことで有名な、浄土ヶ浜の近くです。
震災当時、おばあちゃんは施設に入っていたらしく、避難する必要がなかったと連絡をうけていました。
でも、妻によると、「おばあちゃんの家の前は、海だったような気がする!?」とのこと。具体的な住所を覚えていなかったことからも、不安だけが増していきますが、できることは何もありません。内陸にある盛岡市の実家でさえ、高速や国道の補給路が断たれて、車に給油できない、買いもの量に制限ありなど、しのいでいる状態でした。3月ってまだものすごく寒いのに・・・。
数ヶ月が過ぎて、実家から現地をようやく見にいくことができるようになりました。とにかく何もなかった、が感想だったようです。
ボクは1度も行ったことがないし、被災地の情報はインターネットやFacebookでしか知らない状態です。行こう行こうと思いつつ、やっと行動にまでつながったのが、2013年6月のこと。3.11から2年3ヶ月後のことでした。
いっしょにいったメンバがダメだったんでしょうか、現地で迷いつつ(笑)、どうにかこうにかたどりつきました。けど、本当に何も残ってません。。。
草がたくさんあるところに、おばあちゃんの家が建っていたそうです。
家の前は堤防があって、海!じゃなくて川が流れています。下流なので、かなりの広さですね。ここから津波がやってきて、周りの家が根こそぎなくなるくらいって・・・。ボクの想像が追いつきません。ヨメが昔食べた、なつかしの中華屋は残っていて、営業していましたが、ずいぶん宮古駅よりでした。
車で、浄土ヶ浜へ。
家よりももっと海よりにあるというか、海なので、どうなってるんだろう・・・と思いながら向かいました。
結果的には、観光できる程度には復興していましたが、簡易道になっていたり、まだ土がたくさん積んであったり、終わりまではまだまだ時間がかかるようです。
ぼーっと海をみていたら、1才3ヶ月の我が子がいつのまにか海岸沿いまで歩いていっています。彼ははじめて見る(?)海で、何を感じているんだろう。
あまり時間をとれなかったので、名残惜しかったのですが、早々に帰路につきました。
盛岡市から宮古市まで、車で約3時間。
一車線で一本道の国道をただまっすぐ行くだけです。少しのんびり運転の方がいると、抜かすことが難しいです。東北の方はのんびりめの方が多く、ボクは運転すると大阪人気質になるので、平穏な状態でいることを心がけることに苦戦しました。
岩手県内で、三陸海岸沿いを南のほうへいくと、大船渡(おおふなと)があるのですが、そちらの被害も相当ひどいと聞いています。仙台と宮古市とのちょうど間くらいです。ずっと北の方にあった浄土ヶ浜・宮古市でさえこんななのだから、仙台の当時は計り知れないですね。
表現できないいろんな想いをもって帰りました。
これは途中のパーキングエリアでの子どもの写真。何を考えてるんだろう?
・環境省_三陸復興国立公園の創設を核としたグリーン復興|三陸復興国立公園