即戦力の磨き方 (PHPビジネス新書) 大前 研一 PHP研究所 2006-04 |
その他の国でもビジネスパーソンは、だいたい三十代で一人前と見なされるし、三十代で完成するというタイムスケジュールで、多くの人は働いていると考えていい。
スペシャリストでもゼネラリストでもない、生き残れるのはプロフェッショナルだけだからだ。
プロフェッショナルは違う。まったく新しい環境に放り出されても、洞察力と判断力を発揮し、進むべき方向を見つけ自分で道を切り拓く逞しさがある。
即戦力というのはあくまで、全く新しい環境に放り込まれても、冷静に本質を見極め、正確な判断や意志決定のできる、プロフェッショナルのことなのだ。
インターネットで使用される言語の八割、蓄えられている情報の七割が英語なのだそうだ。
株式の構造や、株式投資にはどんなリスクがあるかなどは、取引を始める前に、必ず正確に理解しておかねばならない。また、相場全体が情報しているときは「インデックス株を買え、こういう下げ局面では目をつぶって運輸株だ、電力株だ、消費財大手だ」といったセオリーが投資にはあるから、そういうものも知識として、知っておく必要がある。
身近に株を一緒に勉強する仲間をつくる
世界を観る。
世界中のお金持ちのお金を運用しているイギリスのファンド・マネージャーや、世界最大級の機関投資家であるカルパース(カリフォルニア州公務員退職年金基金)のお金が、どこに向かっているかには、とくに注意が必要だ。
問題解決法の基本
「問題がどこにあるのか」「なにが問題なのか」を、自分で見つけ出すことだ。それには少しでも疑問を感じたらとことん追求し、この問題の本質はどこにあるのか自分で自分に問うことを繰り返す「質問する力」(Inquisitive Mind)が不可欠だ。
そして次は、なぜその問題が発生するのかという原因に言及し、何をどうすればその原因を排除できるかという仮説を立てる。ここで重要なのは「なぜ」という問いかけに対し、「もしかしたらこうなるのではないか」と仮説を設定できるかどうかである。
仮説を立てたら今度は、その仮説の検証だ。もちろん仮説は仮説にすぎないから、そのままそれが問題解決につながるとは限らない。仮説がうまくいかないとわかったら、そこで新たに仮説を立て直す。あるいは仮説を実行すると、そこで新たに問題が起こるかもしれない。そうしたらその問題の原因を探り、取り除く仮説を立てる。これを真の解決策にたどり着くまで、何度も繰り返すのだ。
結論とはそういう「仮説→検証」の繰り返しを経て、最後に到達するものなのである。仮に最初に思いついたことが結局正解だったとしても、十分な検証を欠いていれば、それはどこまでいっても仮説でしかないのだ。
二十一世紀は見えない大陸だから、おおぜいが古い知識を持ち寄って、あれこれ相談しても、進むべき道など発見できるわけがない。それができるのは、前例が通用しないところでもひるまず、自分で問いを立て答えが出せる能力を持った個人なのだ。だから企業が生き残れるかどうかは、そういう人間をトップに戴いているかどうかにかかっている。
大量生産時代ならいざ知らず、新大陸では、この手の人材はまるで役に立たない。なぜなら記憶力という点では、人間よりもコンピュータのほうに、はるかに分があるからだ。義務教育で教わることなど、いまなら数百円のメモリーチップ一枚にすべて収まってしまう。言い換えれば、答えを教わってただ暗記するだけの受け身の勉強では、せいぜい数百円程度の市場価値しかない知識が手に入るだけということだ。それにコンピュータなら、試験が終わった途端に記憶が消滅してしまう、などということもないのである。
勉強は試験のためにやるのではない。新大陸の荒野で生き抜いていく力をつけるためにやるのである。それは、「答えのない問いを考えられる回路」を頭のなかにつくる作業であると言い換えてもいい。
入社のときから、俺は絶対社長にやってやると、強靱な意志で勉強すれば、その人は三十代で社長になれる。四十才で始めた人は、六十代で夢を叶えればいい。それが可能な時代に生を受けたことを、幸福と考えるか、不幸と見なすか、それはあなた次第である。
日本語には「阿吽の呼吸」「以心伝心」「暗黙の了解」などの言葉があることからもわかるように、日本人は意見の相違を明確にして、それをディスカッションで縮めるよりも、相手の気持ちを推し量り、先回りして近づいて、なんとなく合意をとりつけるのが得意な民族なのだ。
自分が納得できないことに反論するのは、マッキンゼーの行動規範に定められた義務でもある。相手が上司やクライアントだからといって、遠慮して反論を控えるようなことは、固く禁じられている。
もっとも重要なのは、常にロジカルに考え、ロジカルに話せること。事実に基づいた推論、論理的思考能力こそが唯一の世界共通言語といってもいいくらいだ。
これが勝ち組の発想であり、思考回路なのだ。間違えたらどうしようなんてことは考えない。まず動いてみて、そこから修正を繰り返し、自分なりの方法論をつくっていく。
先が見えないからこそ、長期的な目標を持って、自分の人生を設計すること。とくに三十五才を過ぎたら、いつまでに自分はこれをやるというように具体的な目標を掲げ、いまよりさらに高い次元に向かって努力することを、意識的かつ強制的にやらなければダメだ。
まず考えることは、「隣が何をやっているか」でなく、「自分の人生」を独自に設計すること。もう一つは、家族で設計を行うこと。
人間には、自分の人生を「賭ける」転機が必ずやってくる。
六本木ヒルズに住むのが成功の証ではないし、私にいわせれば、ヒルズ族に憧れるのは田舎者である。人と同じことをしていると、ライフスタイルはより「ロウアー」になっていく。