最近、子どもが成長期を迎えているようで、主張がすごいんです。
反抗することが「前提」のようになりつつあり、気分よく過ごしてもらうことに手がかかってます。
いくつか例をあげると
- 水筒のお茶は親が入れるが、ふたは自分が閉めてから飲む。親が閉めてはいけない!
- バナナは食べないというが、親が食べているバナナはひとくちいただく。わざわざ1本はいらない!
- お風呂で身体を洗わせるが、シャワーで流すのは自分でやる。親が流すのイヤ!
などなど、勢いでどんどん書きそうになってしまいましたが、こんな日常です。
さらに最近はとてもおもしろいことが!
1,2ヶ月前に、ボクが子どもに伝えたり指示していたことを、こっちにオウム返しのように確認してくるんです。
「いただきますは? もうした?」
「もうごちそうさま?」
「おかえりなさい、手洗う?」
すぐにマネすることもあるんですが、浸透していくには数ヶ月かかるようで、浸透した後はもうこちらから働きかけをしなくても、延々と繰り返しこちらへ確認してきます。自分で言って自分で答えたりすることも多々あります。我が家では「ひとり芝居」と呼んでますね。
これが他の子どもだとかわいいんでしょうが、ボクはややイライラさせられます。
理由は「自分がそこにいるから!」ですね。
そんな口調するんやーとか、そういうことを何度も言うてたのかーなんてことばかり。しかも、さっきのことではなくて、しばらく継続して取り組んだことなので、パパッと修正するわけにいきません。ボクがもう持ってるし、子どもにも浸透してしまったんですね。
こういう状況をみていると、成長には時間がかかることがよく感じられます。言ってすぐにできるわけじゃないし、できてもすぐ忘れてしまうし、身につかないし。どこかで本人の腑に落ちて、「!」ときたときがオウム返しされるタイミングなのかなと見守っています。
これを書きながら次の名言を思いだしました。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
ほめてやらねば、人は動かじ」
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」
「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」
山本五十六さん
子どもの成長を見ながら、ボクが自身を振り返って軌道修正するきっかけになっています。精進は続きます。