ボクには師匠がいます。
今日はそのことで何がうれしいかを書いてみます。
うれしいこと
自分の思い込みに気づかされること。
このひとことに尽きます。
気づかされることによって、
努力の向きを変え、日々の取り組みが変わったり、
思わぬ価値を見つけ、高めることができたり、
しんどい考え方から楽しい考え方へ、受け止め方を変えることができたり、
信じられないことが連続で起きつづけます。
師匠との関係
師匠には、師匠であることを伝えていません。
本人を「師匠~!」と呼んでいる人が、1人いますが、呼ぶときの「師匠」とここでの師匠は、ボクの中で意味が異なります。でもその方も師匠なんですけどね。
すべての師匠に共通することがあります。
実践者であること。
教わるときは言葉を使いますが、多くは背中が語っています。これまでの歩みが語っています。だから言葉に重み深みがあって、強い影響を受けるんでしょう。
年齢の離れた師匠もいれば、同年代の師匠もいれば、年下の師匠もいます。
性別は、男性も女性もいて、さまざまです。
そういえば・・・、これなら思わぬところに師匠は存在するんでしょうね。
師匠との出会い
意外な場所にあります。
意外な時にあります。
意外なつながりまであります。
すべてが意外すぎるので、必然的に登場するのだと思います。もう救世主的!
ちなみに師匠として現れるのではなくて、いつのまにか師匠ポジションになってる感じです。
だから、はじめのうちはそんな風に考えて接してません。
でもよくよく考えてみると、「ああ、また師匠になってるな・・・」となるんですよねぇ。
ボクにとっての師匠とは、自分の思い込みを気づかせてくれる人。
そして、知識アドバイスでなく、経験からくるものであること。実践者なんですね。
良い結果も、悪い結果も、経験からくるものだと、そこから得られる気づきってスゴいんです。いえ、スゴいようなんです。
ボクは動きはじめるまでが鈍いので、たくさんの経験を積むことが不得意です。
だけどこんな環境に身を置いて、よき師匠から助けていただくことで、視野を広げたり、価値を高めたりできています。
そうはいっても、まだまだ・・・。
できていることもあるけれど、できていないことの方が圧倒的に多い。
ボク自身も歩み続けよう。それが次の世代への恩送りだと信じてます。