地震当日のtwitterをみてると、面識のある人が、地震以外のことをつぶやいている人に注意しているのをみてしまいまして。それをみて、なんだかすごくイヤな気分になった。すごく息苦しい感じ。当日の夜にイベントがあったこともあって、twitterから離れざるをえない状況になったのは、この意味でよかったと思う。気乗りしなかったけど、そのイベントは行って正解だった。ススムワーク事業に影響ある、重要なことを気付かせてもらえた。めっちゃよかったけど、さすがに当日の夜にブログに書く気にはなれなかった。これはあらためて書きたいね。
先日公開した「ススムワーク」のことで次の告知があるんだけど、まだ公開してまもないことなので、ぶわあーーーっと告知をしようと考えていたんだけど、この状況だから足踏みしまっていて。延期するかどうか、とても悩みどころではあったけど、延期せずに元のスケジュールのままで進めてしまおうと思っている。なぜかっていうと、延期しても、何も変わらないから。それどころか、お待たせしている人へのレスポンスが遅れてしまって、本来なら関係ないはずのその人が困ることになる。これ以上、困る人を増やす役目をになってはいけないと考えて、まだちゅうちょする部分はあるけど、告知はすすめることにする。
ちなみに、ボクのヨメの実家は岩手県盛岡市。日記を書いている今は、ライフラインが回復しているようだけど、地震の翌日まで連絡がつかなかった。田舎の人でのんきなのか、連絡をつけられないのか、心配だった。連絡がついたときは、買い物にいっても食料が売ってないっていってた。そしてそのおばあちゃんの家は、岩手県宮古市。海沿いの家で、メディアで報道される映像から考えると、家は流されてしまったんじゃないかと・・・。おばあちゃんは施設に入っているけど、その施設がどこなのかボクは知らなくて、無事なのかどうかも知らないまま。いったいボクに何ができるというんだろう・・・。
他に、岩手に、仙台に、千葉に、東京に、あちこちの災害地に友達がいて、電話やメールしたり、連絡がきたりもした。連絡がつくとほっとするけど、ライフラインがまだない人もいたりして、ボクは何もできないけど不安になるよね。なのでときどき連絡だけとってみることにした。ホントに何もできないんだけど、話し相手程度でいいのならと思って。だけど本当に過酷な状況だとおもう。近くで必要なものを調達しづらいのに、ガソリンは10L買うのに5時間並ぶって・・・。遠くまで買いにいけない。
こういった状況で、いったいボクに何ができるんだろうか?わからないことをわかろうとしても、いや、もしわかっても何も変わらないし、できないことをやろうとしても誰かの邪魔になるだけ。一番効果のあるのは募金じゃないかと思う。日本赤十字社に募金できるようになったので、そこにする。あまり更新できなかったけど、先日のページも、ボクが責任をとれると感じた内容だけ、情報をアップデートしていこう。
阪神大震災のときがそうだったし、今回もそうだろうけど、元に戻るまでにものすごく年月がかかる。阪神大震災からもう20年弱だとおもうけど、今でも忘れられないし、今回大阪は震度3程度だったけど、その夜からあまり眠れなくなった。大阪住まいのボクなんて、当時も、今回も、大した被害があったわけでもないはずなのに、忘れられない何かが刻まれているってこと。今、兵庫・神戸の人たちはどう感じているんだろう。ボクよりもっと眠れない日々を過しているんじゃ・・・。だけどそれを考えても何も変わらない。
これに長い年月がかかるということなら、やっぱり働いて稼ぐことだと考えた3月14日でした。