健康・病気・治療

悲劇のヒーローきどり

こないだヨメが入院したときの話です。

ボクもヨメも、やっと不妊治療のストレスから解放されて、一般の病院に移って、これからやっと人と同じスタートラインに立つんだな、って思ってたんですね。

だけど現実はそんな楽観的なもんじゃなかった。

転院したあたりから、つわりがひどくなって、日常生活に支障が出てくるようになりました。毎日毎日、点滴しに病院に行くか行かないか、という判断ばかり考えるようになりました。ヨメが急に人並み以下の生活になって、何も口に入れられなくなっていきました。よくあることだ、と思っていたんですが、ボクが気づいて確認した日は、1日に「ペットボトルのふた」くらいの水を飲んだだけで他に何も口にしてないって言ったんですね。

その頃、ボクが仕事で時間に追われ始めたこともあって、ヨメに体調を本格的に崩されて、付きっきりが必要になったらマズイ!と思って急遽病院へ。色々と混乱したままでしたが、医師からちょっとだけすすめられたこともあって、入院することになりました。点滴するためですね。入院中は1日に3回くらいやってたのかな。

 

そのときの気分といったら、言い表しようのないもんでした。やっとみんなと同じに並べたと思ったのに・・・っていう残念な気分ですね。ヨメも感じていたはずです。たった1人の子を授かるのがこんなに大変なことなのか・・・なんでボクだけ、なんでウチの夫婦だけ・・・と悲劇のヒーロー気きどりでした。

 

そのとき、相部屋の妊婦さんの1人、様子が変だったんです。か細い小さな声で「しにたい・・・しにたい・・・」ってよくいってました。そんな気分になるほど、つわりがひどいようでした。ちなみに病室はみんな、妊婦さんばかり。

担当の医師がこられて、なんと中絶を検討するよう説明します。詳しくは知りませんが、母子でいうと母を優先して保護しないといけないという法律があるようで、医師は職務として母体の保護を優先しようとしたんですね。

それと、自分の意志で中絶するには期限があるようなんです。24週か、25週だったか。それ以降は自分の意志で中絶できなくなる。この妊婦さんにはその期限が迫っていたんです。言い換えると、20週以上もの期間、入院するほどのつわりがずっと続いてたということです。

それから妊婦さんたちの家族会議が病室の片隅で開かれ、そこでみんな泣いていました。旦那さんは最後まで反対していましたが、男は何もできないんですよね・・・。

その後、返答期限だろう、と思われる日が近づいた頃、妊婦さんが病室を移動していったので最後がどうなったかはわかりません。だけど、ボクたち夫婦の価値観をひっくり返されるようなできごとに遭遇したと感じました。運命を感じました。

言葉にするとホントひどい話だけど、書きます。傲慢なボクたちに教えるために、しんどい役目を担ってくれたんだな、って解釈しました。

上には上がある。下には下がある。

悲しいとか、残念だと思うことは仕方ないけれど、自分が一番○○だなんて他と比較してはいけないんだな、って考えるようになりました。ヨメはどうかわかりませんが、見舞いに行く度に元気になっていく努力をしてるように感じました。何か感じたことがあったようです。

 

入院から1週間ほどして、1日かけてだいたい1食分くらいの食事をとれるようになったので、退院できました。

あれから2ヶ月ほどたって、今もヨメの状況はあまり変わっていませんが、春まで何とか無事につなげていけたらと夫婦でいっしょにがんばっていますよ。

すべての人から教わることができるんですね。

  • この記事を書いた人

ぴろきち

ぴろきちです。大阪生まれで大阪育ち。関西人らしくないと薄々感じてましたが、どうやら血は大阪人じゃないようです。環境で大阪人になってもよさそうなのにね。 世界遺産めぐりが好きで特に遺跡に興味があります。他には神社や寺めぐりをして、御朱印集めをはじめてまもない状態。自分のルーツ・人のルーツをたどることが好きで、家系図づくりをしていますが、4世代より前へなかなか進めずにいます。肌が弱いので、タバコの煙が苦手。お酒もほぼ飲みません。 食べ過ぎたりもしたけれど、ぴろきちは元気です。

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