おはようございます。
このところ、正直者は○○をみるなぁ、
と思う出来事が続いて、悩んでいます。
(残念ながら)
ボクはバカ正直で、
まさに「これでいいのだ」と思ってきましたが、
はたしてこれは、真実でしょうか?
「正直者は○○をみる」というのは、
自分に対してのみ使うのではなく、
相手にも使えるコトバではないかと気付きました。
相手が正直者だと、相手が○○をみる
のではなく、
自分が正直者だと、相手が○○をみる(ことがある)
という感じです。
何事もストレートで行くのではなくて、
変化球で進むことも必要なんでしょうね。
ただ、この“変化球”は、
慣れていないせいか、それとも別の何かなのかわかりませんが、
ボクには“キモチワルイ”んです。こういうのは何だか不安定です。
ヒトは、自分にはウソはつけませんから、
やはり自分自身に正直でありたいと思います。
それでこそ ココロも安定でするでしょうし、
まさしく自由で平穏な生活が待っている気がします。
そのためには、自分にウソをつかない選択をしていく必要があります。
ただ、自分のエゴを通すことで、
「相手が○○をみる」のはよくないですね。
相手を想う気持ちが“変化球”になるんでしょうか。
ボクには まだまだ難しい問題です。
いくつかのことを想いながら書いたため、
話が飛んでいますが、ご注意を!